2016年5月26日木曜日

デュイン方言考 ~概要~

リパライン語にはデュイン方言という方言がある。
デュイン方言はデュイン全体7億を超えるデュイン全体で喋られるリパライン語口語の変種である。デュイン方言は方言とはいうがユエスレオネ本土において話されるアル・シェユ方言より標準語と異なっている点が多い。かといって、ラネーメ・リパライン語やアイレン方言ほどの変化をしていないという丁度良い位の離れ方をしている。

デュイン方言の特徴としては「古い表現が残っていること」、「標準口語と違って敬語が無いこと」、「接置詞に格支配がある」というところである。

・デュイン方言の発達
デュイン方言はデュインへの入植が発生しなければ生まれなかった言語である。デュイン戦争が終結し、ユエスレオネのデュイン開拓により本土から低所得者のユエスレオネ人がデュイン入りした。他にもハタ王国から出稼ぎに来た低所得者や一攫千金を狙った資本家、それに追従してトイター教を守ろうとした宗教家などがデュインに流入することになった。
デュインでは第一次ユエスレオネ社会主義時代では開拓労働と呼ばれる粗悪な労働環境での重労働を主にした計画労働が敷かれており、共産党から出向させられた現地指導者によってそれが行なわれていた。現地指導者は大体クワクの出身であったため、DAPEまでに消滅したクワク方言を口語で主に話した。クワク方言はエタンセンス語やリヴァライン語に近い古理語という感じであり、標準口語を話す本土から来た低所得者はおろか、ユーゲ人などの非リパラオネ人系には通用しなかった。このために標準口語を基層にクワク方言の要素を吸収して行ったのがデュイン方言の始まりであった。
デュイン方言はクワク方言だけでなく、入植外国人のユーゲ人を中心に非リパラオネ人系の表現や単語を積極的に取り入れて行った。このため標準語よりユーゴック語起源の単語が多い。
デュイン方言の発達はショレゼスコによる第二次ユエスレオネ社会主義への突入によって落ち着いた。ショレゼスコによって現地指導者はデュインから撤退、各県の自治力が上がったためにそれぞれの民族語が重視されるようになったが、外国人系デュイン人二世以降の多くがデュイン方言を第一か第二言語として話すこと、デュイン入植者自身がデュイン方言が自分たちのアイデンティティであるとしたためにデュイン総合府を挙げてデュイン方言をの維持・記録を推進している。

・デュイン方言と社会
 デュイン総合府からはデュイン方言はデュイン全土で通用するリパライン語変種であるとの評価をしており、ユエスレオネ連邦理語学士院も同様の評価をしている。ユエスレオネ人から見るとデュイン方言というのは日本人の標準語に対する関西弁に近いものである。リパライン語話者の総数に食い込むほどの話者数を持つため、ユエスレオネ本土にいてもデュイン方言の話者と出会う事がよくあるが、普通本土ではデュイン方言ではなく標準口語で話している。ユエスレオネ人もデュイン人も方言に対して崩れた言葉、洗練されていない野粗な言葉と考える事は無く、逆に本土人は方言に対して憧れを持つほどである。デュイン人が本土でデュイン方言を話さないのは単純に効率が悪いからというだけの問題である。

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